混元丹が取り持つ加賀藩と一向宗の仲

薬種商人・中屋彦右衛門

「なかや~の混元丹」のCMで金沢では知らない者が居ない程の有名な中屋薬舗。
天正11年(1583年)前田利家は金沢城に入城し城下町づくりを始めましたが、まだまだ一向宗門徒との関係は安心できるものではありませんでした。
そこで一向宗門徒からも人望があり、前田との仲を取り持つために必要な人物であると見込んで、二代目・中屋彦右衛門を中山村(現・金沢市浅川町)から金沢へ戻るよう説得しました。
二代目・中屋彦右衛門は、利家の説得に応じて南町に帰り、宿老として町の行政にあたりました。
以降、代々の中屋家当主が町年寄役・銀座役を務めました。
三代彦右衛門の頃の中屋家は、既に薬種商人として強壮健胃剤の有名な「昆元丹」を売り出していました。
藩から相談される人物とは、どんな方だったのでしょうか?人望が厚かったのでしょうね。

下層民にも販売

中屋家は御典医や上級の侍、上層の町民・農民のみならず、いわゆる当時の階級制度の身分の低い人にも注文にも応じて販売しました。普通の商いは店じまいをしている夕方以降でも、中屋だけは入口を叩けば注文に応じ、身分・階層に関わらず薬を販売したそうです。

南町の中屋前では、旅人や一般の往来人も自由に冷水や、三味薬を煎じた三味湯がふるまわれ、冬には三味湯を置いて旅人・往来人を接待するのが中屋家の伝統行事となっていて、金沢城下町に幾度か起こった打ちこわしなどには巻き込まれませんでした。

老舗記念館


長町・武家屋敷近くの老舗記念館で、当時の店内の様子をうかがうことができます。
藩政時代から続く中屋薬舗を店の状況を再現した「みせの間」や、奥の間では加賀てまりや花嫁のれんの展示が行われています。2階は金沢老舗百年会所属の老舗の貴重な資料が展示されています。